しんちゃんのオランダ&ベルギーツアーガイドブログ

オランダ、ベルギーで個人ツアーガイドをしているしんちゃんです。僕の日常や観光情報などを毎日こちらのブログにて綴っております。個人ツアーの詳細はハッピーツアー オランダ&ベルギーでご検索ください。みなさん、楽しい素敵な旅行を楽しみましょう!

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ウィーン旅行紀(最終)

こんにちは、しんちゃんです。これでウィーンの記事は最後になります!

まず、以下に以前記載したウィーン旅行紀3部作を載せています。ご興味ある方はご覧ください。この文章は、③の続きになっています。

shinchan-netherlands-belgium.hatenablog.com

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クリムトの絵画について

③にてクリムトがどんな人物なのか、どんな時代を生きた人なのかを紹介しましたが、簡単にまとめると以下のような感じです。

・保守的な風潮のウィーンの芸術界に新たな風を起こした人

・世紀末の不安や興奮、そして退廃的な雰囲気も。

・女性の役割が変化を迎えていた

また、例えばウィキペディアにはクリムトの絵画が「甘美で妖艶なエロスと同時に、常に死の香りが感じられる」といった記述があります。愛、エロティシズム、死を、女性の絵を通して表現していたということになります。 

僕のような素人が見ると「女の人の裸ばっかりだ。」と単純な感想を持ちますが、それと同時になんとなく不気味な怖さを感じることもあります。例えば以下の作品。どう思われますか?

1. ユディト I 

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ユディト I(1901)

女性の頬が少し赤くなっている様、また美しい口元に官能さを感じ、悩ましさ、息苦しさ、反抗と誘惑の雰囲気を感じます。しかしながら、よく見ると右下に男性の首が描かれていることから「エロいよね。」という単純な感想では終わらないでしょう。

この作品のタイトル「ユディト I」は旧約聖書外典「ユディト記」に登場する女性ユディトを描いた作品なのだそうです。ネットで検索すると話の内容がいくつか出てきますが、それを簡単に要約します。

ユディトの暮らすユダヤの街に敵軍が攻め込んできた。敵軍に食料や水源などを絶たれてしまい「もう降伏するしかない」 とその街は存続を諦めかけていました。そんな中、ユディトという女性が美しく着飾り、敵の総司令官に面会をします。

「司令官様、協力させてください。この街の人々は、宗教で禁止されていることをしようとしていて、私はこの街が嫌いになりました。そちらに協力させてください。」と嘘をついたのだった。美しく着飾った美人のユディトを、司令官は快く受け入れる。

司令官の信用を勝ち取り、油断していた隙に彼の首を切って殺害した。

こんな興味深いストーリーのシーンをクリムトは描いたわけです。ある評論家は

「攻撃的な男性原理に対するエロティックな女性原理の勝利」を象徴している

と評価しているのだそうです。

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 2. 接吻

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接吻(1907-1908)

接吻はクリムト作品の中でも最も有名で、180cmx180cmとすごく大きな作品です。男女がキスをする姿が描かれていますね。女性は男性の首に手を回し、安心したような、幸せな顔をしています。この二人がお花畑のような地にいるところも、幸せな男女の愛が描かれているように受け止められるでしょう。

一方で、この二人が断崖絶壁にいるように見えませんか?女性の足はその崖の外に出てしまっていることから、見る人に不安を与えます。この作品の女性は、クリムトの愛人がモデルになっているのでは?とも言われています。

*この二つの作品にはふんだんに金箔が塗られているところも特徴。

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この2つの作品のちょっとした解説だけでもクリムトの絵画が、時代背景を通して理解できるのではないでしょうか?クリムト以前の保守的な絵画界では、エロティシズムを表現することはタブーであったわけだし、色気に負けた男性の首切りをした女性の絵を官能的に描くとかも、ありえなかったわけです。男女の愛の幸せを描く一方で、それは永遠ではないと捉えられる、断崖絶壁など。世紀末の時代背景を表現しているようですね。

その他、以下のような作品もあります。 

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死と生

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花嫁(1917-1918)

なんとなくクリムトがどんな人物であったか、どんな作品を残し、どんな時代を生きた人なのかが、多少お分かり頂けましたでしょうか?

クリムトの影響を受けた人物 

エゴン・シーレ(Egon Schiele, 1890-1918)もクリムトと並んで有名なこの時期の画家です。彼は16歳の時にウィーン美術アカデミーに入学するものの、教師の保守的な教育が合わず退学し、クリムトに弟子入り志願をします。クリムトは彼の才能を見出し、非常に可愛がったのだそうです。

保守的な学校での指導から解放されたシーレは、性をどのように表現するかという探求し、死や性といった倫理的に避けられるテーマを、むしろ積極的に作品にしていきました。

彼の作品は表現主義に近いとも言われていて(感情を絵画に表現する傾向にあるスタイル)、この点はゴッホの絵画に影響を受けています。シーレはゴッホのひまわりを絶賛していたのだそうです。

また幼児性愛者、近親相姦歴、逮捕歴があったことは有名で、ネット検索すると「ゲスい画家」などとたくさん記事が上がってきてしまいます。しかしながら、クリムトとシーレの絵画の特徴は「生と死」「エロス」が共通する点で、繰り返しになりますが、中でも性の部分は当時タブーとされていた側面も強かったのです。彼らは、その性をより強調するかのごとく描いた、まさに挑戦者でした。

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横たわる女

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ほおづきの実のある自画像

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横たわる女

まとめ

ということで、これでウィーンの旅行紀はとりあえず終了。僕は今回、絵画を中心に周り、学びのある旅をすることを心がけていました。「旅行して、調べて」を繰り返すと新しいものがたくさん見えてきて、より深みのある旅行ができます。次の旅行紀は1月のロンドンです。何かロンドンの魅力を伝えられるように頑張りますね。

 

とりあえず次回は新年挨拶か。

 

ではでは皆さま、引き続き宜しくお願い致します!Be Happy with Happy ! ハッピーツアー オランダ&ベルギーの手がけるプライベートツアーは以下からご覧ください。

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